私たちの信仰告白

序文

聖書科学研究センター(Biblical Science Research Center:BSRC)は、聖書の最高権威、イエス・キリストの主権、そして神の栄光のために真理を探究することを使命とするキリスト教研究機関である。
私たちは、被造世界の研究は創造主なる神の啓示から切り離して行うことはできないと信じる。
科学的探究が可能であるのは、この宇宙が聖書に啓示された三位一体の神によって設計され、創造され、秩序づけられ、そして絶えずその摂理によって保たれているからである。
したがって、科学とは単なる自然現象の観察ではなく、神が創造された秩序ある世界を理解するための知的営みである。
本「信仰告白」は、聖書科学研究センターの研究活動、教育、出版、学術的対話、および社会への証しを支える神学的基盤を明らかにするものである。
私たちは、歴史的キリスト教信仰、とりわけ改革派神学の伝統に立ちながら、あらゆる学問分野を神の御言葉の権威の下に服させることを目指す。
科学は神の啓示に対立するものではない。
むしろ、正しく理解されるならば、科学は創造主の知恵と栄光をより深く知るための重要な手段である。
この信仰告白は、聖書科学研究センターに属するすべての研究者、教育者、および協力者が共有する基本的信仰を要約したものであり、私たちのすべての研究活動は、この信仰に基づいて行われる。

1.三位一体の神

私たちは、唯一にして生ける真の神を信じる。
神は永遠より父・子・聖霊の三つの位格として存在しておられる。
父、子、聖霊は本質において一つであり、権能と栄光において等しく、しかも互いに区別される位格である。
神は永遠であり、自存し、無限であり、不変であり、全知・全能であり、完全に聖にして義であり、愛と知恵と善に満ちておられる。
神のみが万物の創造主であり、保持者であり、統治者であり、贖い主である。
すべての被造物は神によって存在し、神を通して存在し、神のために存在している。
神は歴史の始まりから終わりまで、あらゆる被造物をその永遠のご計画に従って支配し、摂理によって保っておられる。
したがって、宇宙の究極的な起源、秩序、目的、および意味は、三位一体の神の御性質と御旨にのみ基づいて理解される。
私たちは、科学的探究もまた、この創造主なる神への信仰を前提として初めて、その真の基礎と方向性を得ると信じる。

2.聖書の権威

私たちは、旧約聖書三十九巻および新約聖書二十七巻、すなわち全六十六巻が、神によって霊感された唯一の聖なる書であることを信じる。
聖書は、人間の著者たちが聖霊の導きの下に記した神の御言葉である。
それゆえ聖書は、そのすべての教えにおいて真実であり、信頼するに足るものであり、最高の権威を有し、誤りのない神の啓示である。
私たちは、聖書が信仰と教理のみならず、倫理、歴史、そして神が創造された世界を理解するための究極的基準であることを信じる。
人間の理性、科学理論、哲学体系、宗教的伝統、社会的価値観、および文化的潮流は、すべて聖書の権威の下に置かれなければならない。
なぜなら、聖書を啓示された神と、自然界を創造された神とは同一のお方だからである。
したがって、「神の御言葉の書」と「神の御業の書」は、正しく理解される限り、決して互いに矛盾することはない。
もし自然界についての人間の解釈が、聖書の明白な教えと対立するように見えるならば、修正されるべきは神の御言葉ではなく、人間の解釈である。
私たちは、聖書が科学の細部を説明するための技術書ではないことを認める。
しかし、宇宙の起源、人類の起源、生命の目的、罪の起源、死の由来、世界史の基礎、そして万物の終局について、聖書は誤りのない神の啓示を与えていると信じる。
そのため、科学的探究は聖書に従属するものではなく、むしろ聖書によって与えられる世界観の中で正しく方向づけられる。
私たちは、神の特別啓示(聖書)と一般啓示(被造世界)は、ともに神から与えられたものであり、その両者は互いに補い合うものであって、本質的に対立するものではないと告白する。

3.創造

私たちは、神が御言葉の力によって、天と地、およびそこに存在するすべてのものを無から創造されたことを信じる。
宇宙は自ら存在するようになったのではなく、また永遠から存在していたものでもなく、目的を持たない自然過程によって偶然に形成されたものでもない。
すべての被造物は、神の自由な御意志、完全な知恵、そして永遠のご計画に基づいて存在するようになった。
神は創造において、万物に秩序、境界、機能、相互関係、そして生命に適した環境を与えられた。
したがって、被造世界は本質的に秩序性、合理性、規則性、および目的性を備えている。
科学が可能である理由は、自然界そのものにではなく、創造主なる神が被造世界を秩序あるものとして創造されたことにある。
私たちは、『創世記』に記された天地創造の記事を、歴史的事実として受け入れる。
創造の記事は単なる神話、宗教的象徴、あるいは文学的比喩ではない。
それは、人類史および宇宙史の出発点を記録した神の啓示であり、聖書全体の神学を支える基礎である。
私たちはまた、創造とは単なる過去の出来事ではなく、神が現在もその摂理によって万物を支えておられるという継続的現実であると信じる。
すべての被造物は神に依存して存在しており、神の御手を離れて自立して存在するものは何一つない。
したがって、自然界を研究することは、創造主の知恵、秩序、そして栄光を理解する営みでもある。

4.神の設計と目的

私たちは、神の設計(Design)は創造(Creation)に先立つことを信じる。
神は、偶然や試行錯誤によって世界を創造されたのではない。
神は永遠の昔から、創造されるすべてのものについて完全な知識と目的を持っておられた。
被造物の形態、機能、相互関係、および最終的目的は、すべて神の永遠の御計画の中に存在していた。
したがって、創造とは神の知恵が歴史の中に実現された出来事である。
宇宙に見られる秩序、美しさ、数学的調和、物理法則、生物学的統合性、および情報構造は、偶然の産物ではなく、創造主の知恵を反映している。
生物の器官、化学反応、物理法則、天体の運行、生態系、そして生命活動は、それぞれ独立して存在しているのではなく、神によって設計された統合的システムとして相互に関連している。
したがって、科学研究は単に物質の構成を分析するだけでなく、その構造が果たす機能、その設計目的、そして全体システムとの関係を考察することが重要である。
私たちは、設計という概念が工学のみならず、生物学、物理学、情報科学、さらには宇宙全体を理解する上でも本質的な視点であると信じる。
神の創造を理解するとは、神の設計思想を謙遜に探究することである。

5.神の摂理

私たちは、神が創造されたすべてのものを、その全能の御力と完全な知恵によって絶えず保持し、支え、統治しておられることを信じる。
神は創造の後に世界を放置されたのではない。
むしろ、神はすべての被造物、その存在、自然法則、歴史の歩み、人間の営み、諸国の興亡、そして宇宙全体を、御自身の永遠のご計画に従って導いておられる。
被造世界に見られる秩序と規則性は、自然そのものに固有の自律的能力によるものではなく、神が摂理によって万物を保っておられることの現れである。
したがって、自然法則は神に代わる独立した支配者ではなく、神が被造世界を通常の方法で治めるために定められた秩序である。
私たちは、神が必要に応じて奇跡を行われることも信じる。
奇跡とは自然法則の失敗ではなく、自然法則を定められた創造主が、ご自身の御目的のために特別な方法で働かれる出来事である。
また、歴史における偶然と見える出来事も、神の御手を離れて生じるものではない。
神は、人間の自由な行為や歴史上の諸事件をも用いて、御自身の完全な御旨を成し遂げられる。
この摂理への信仰は、科学研究においても重要である。
なぜなら、私たちが自然界の秩序を期待し、再現性を前提として研究を行うことができるのは、神が忠実に世界を保っておられるからである。
したがって、科学とは、神の摂理によって維持されている被造秩序を謙遜に探究する営みである。

6.神のかたちとして創造された人間

私たちは、人間が神のかたち(Imago Dei)に創造された唯一の被造物であることを信じる。
人間は偶然の進化過程の産物ではなく、神によって特別な目的をもって創造された存在である。
神のかたちとは、人間が神そのものとなることではなく、神との人格的関係を持ち、理性、道徳性、創造性、責任、愛、そして支配の務めにおいて神を反映するよう造られたことを意味する。
神は人間に、被造世界を管理し、耕し、守り、その秩序を理解する使命を与えられた。
この文化命令(Cultural Mandate)は、人類に与えられた最初の使命であり、科学、工学、芸術、教育、経済、そして社会の発展は、この神から与えられた召命の一部である。
しかし、人間は神ではない。
人間の知識は有限であり、理性もまた罪の影響を受けている。
したがって、科学もまた人間の営みである以上、完全無欠ではなく、常に神の御言葉によって吟味され、矯正され続けなければならない。
私たちは、人間の尊厳は能力、民族、文化、性別、年齢、あるいは社会的地位によるものではなく、神のかたちとして創造されたという事実に基づくことを信じる。
そのため、すべての人間は等しく尊厳を有し、敬意をもって扱われるべきである。

7.歴史的人物としてのアダムとエバ

私たちは、アダムとエバが神によって直接創造された歴史上実在の人物であることを信じる。
アダムは全人類の最初の人であり、エバは最初の女性として、アダムから造られた。
彼らは象徴的存在や神話上の人物ではなく、人類史の出発点となる実在の人物である。
私たちは、すべての人類がアダムとエバの子孫であることを信じる。
したがって、人類は共通の起源を持ち、本質的に一つの人類家族である。
聖書が教える人類の一致は、民族、人種、文化、言語を超えて、すべての人が同じ創造主によって造られたという真理に基づいている。
アダムは、神との契約関係の中で人類の代表として立てられた。
彼の従順は人類全体に祝福をもたらすものであり、その不従順は全人類に罪と死をもたらした。
この歴史的事実は、福音理解の基礎でもある。
なぜなら、第一のアダムの失敗によって罪が世界に入り、第二のアダムであるイエス・キリストの完全な従順によって救いが与えられたからである。
もしアダムが歴史上実在しなかったならば、罪の起源、死の意味、そしてキリストの贖いの歴史的意義も失われる。
したがって、歴史上のアダムとエバを認めることは、創造論のみならず、救済論および聖書神学全体を支える重要な基盤である。

8.人間の堕落

私たちは、神が創造された世界は初め極めて良いものであり、罪も死も存在しなかったことを告白する。
しかし、アダムは神との契約に背き、神の命令に不従順となった。
この歴史的な背反によって罪が世界に入り、死が全人類に及んだ。
堕落とは単なる道徳的失敗ではなく、人間と神との関係が破壊され、人間の全人格が罪の支配の下に置かれた出来事である。
その結果、人間の理性、意志、感情、良心、および身体は、すべて罪の影響を受けるようになった。
したがって、人間は自らの力によって神に立ち返ることも、自らを救うこともできない。
私たちは、死は神が本来の創造において意図されたものではなく、人間の罪に対する神の義なる裁きとして世界に入ったことを告白する。
ゆえに、死は進歩や創造のための自然な手段ではなく、人間が本来経験すべきではなかった「最後の敵」である。
さらに、被造世界全体もまた人間の堕落の影響を受け、苦しみ、腐敗、災害、病、そして死の支配の下に置かれた。
しかし神は、人間の罪によってそのご計画を失われたのではない。
むしろ、堕落の直後から贖いの約束を示され、歴史を通してその救済計画を成し遂げておられる。

9.ノアの洪水

私たちは、『創世記』に記されたノアの洪水が、歴史上実際に起こった全世界的な出来事であることを告白する。
洪水は地域的な災害でも、神話的物語でもなく、人類の罪に対する神の義なる裁きとして、神が歴史の中で行われた出来事である。
神はノアとその家族を箱舟によって救い、同時に地上のすべての生物に対して裁きを行われた。
洪水は神の義と憐れみが同時に示された出来事である。
私たちは、今日地球上に見られる多くの地質学的構造、広範囲に分布する化石層、大規模な堆積層、および急速な地形形成の証拠は、この世界規模の洪水を考慮することによって、より合理的に理解することができると考える。
私たちは、歴史科学を研究する際には、聖書に記された洪水を重要な歴史的前提として考慮すべきであると信じる。
また、洪水後に神がノアと契約を結ばれたことにより、今日の世界秩序が新たな段階に入ったことを認める。
現在の自然環境、生態系、および地球の歴史は、洪水以前の世界と区別して理解されるべきである。

10.バベルの塔

私たちは、バベルの出来事が歴史上実際に起こった出来事であることを告白する。
洪水後、人類は神の命令に従って全地に広がることを拒み、自らの名を高めるために都市と塔を築こうとした。
これは人類の集団的反逆であり、神の権威に対する挑戦であった。
そのため神は人々の言語を混乱させ、彼らを全地に散らされた。
私たちは、世界に存在する多様な言語と民族の起源は、この歴史的出来事に基づくものであると信じる。
民族の多様性は偶然の産物ではなく、神の摂理の中で生じた歴史的結果である。
しかし、すべての民族は依然として同じアダムの子孫であり、同じ創造主によって造られた一つの人類家族である。
また、ペンテコステの日に聖霊が下られた出来事は、福音によって諸民族が再び神のもとに集められることを示す救済史的転換点であった。
このように、バベルは創造から新天新地へ至る聖書全体の歴史の中で重要な位置を占める出来事である。

11.イエス・キリスト

私たちは、イエス・キリストが永遠の神の御子であり、父と本質を同じくする真の神であることを告白する。
時が満ちたとき、御子は聖霊によって宿り、おとめマリアから人として生まれ、完全な神性と完全な人性を一つの位格において持たれた。
キリストは罪のない生涯を送り、律法を完全に成就し、ご自身を十字架のいけにえとして献げられた。
その死によって、ご自身の民の罪の贖いを成し遂げ、三日目に肉体をもって復活され、天に昇り、今も父なる神の右に座して教会を統べ治めておられる。
キリストのみが神と人との唯一の仲介者であり、救いはただキリストにある。
また、万物はキリストによって創造され、キリストによって保たれ、最終的にはキリストにおいて完成される。
したがって、科学もまたキリストの主権の外に存在するものではない。
すべての知識、すべての真理、すべての学問は、キリストの主権の下に置かれるべきである。

12.救い

私たちは、救いは神の恵みによる賜物であり、人間の功績、努力、善行、またはいかなる宗教的行為によっても得られるものではないことを告白する。
父なる神は、永遠のご計画において、ご自身の民をキリストにあって選び、御子イエス・キリストをこの世に遣わされた。
御子はその完全な従順、十字架の死、そして復活によって、罪人のための完全な贖いを成し遂げられた。
聖霊は福音を通して選ばれた者を召し、罪を悟らせ、新しく生まれさせ、信仰と悔い改めへと導かれる。
私たちは、人はただ恵みにより、ただ信仰によって、ただキリストによって義と認められることを信じる。
この義認は、人間の内にある義によるものではなく、キリストの義が信じる者に転嫁されることによる神の恵みの宣言である。
さらに、神は義とされた者を聖霊によって聖化し、キリストのかたちへと造り変え続けられる。
救いは、罪の赦しにとどまらず、神との交わりの回復、人格の更新、そして終わの日における栄化に至るまで、神の恵みによる一つの救済の働きである。

13.聖霊

私たちは、聖霊が父と子から遣わされる真の神であり、父および子と等しく礼拝され、栄光を受けるべき第三位格であることを告白する。
聖霊は、旧約・新約聖書の著者たちを導き、神の御言葉を書き記させた。
また今日においても、聖霊は御言葉を通して教会を導き、信じる者を新生させ、聖化し、慰め、励まし、真理へと導かれる。
私たちは、聖霊の働きは常に聖書と一致することを信じる。
したがって、聖書に反するいかなる啓示、幻、預言、霊的体験も、神から与えられた権威ある啓示として受け入れることはできない。
聖霊はキリストを証しし、信じる者を御言葉によって成長させ、教会を建て上げ、神の栄光を現される。
ゆえに、真の霊性とは、聖書に従い、キリストを中心とし、御霊の実を結ぶ生活に現れるものである。

14.教会

私たちは、教会がイエス・キリストを唯一の頭とする神の民であり、キリストのからだであることを告白する。
教会は、人間の組織によって成立した団体ではなく、神が福音によって召し集められた者たちの共同体である。
教会の使命は、神を礼拝し、御言葉を宣べ伝え、聖礼典を正しく執り行い、弟子を養い、互いに愛をもって仕え、世界に福音を証しすることである。
私たちは、地域教会が神の定められた通常の信仰共同体であり、信徒は教会生活を通して御言葉と聖礼典にあずかり、信仰において成長すべきであると信じる。
また、キリストの教会は民族、国家、文化、言語を超えて一つであり、すべての真の信者はキリストにあって一つのからだに結ばれている。
教会は世に迎合することなく、常に聖書の真理に立ち、神の国を証しする共同体でなければならない。

15.文化命令

私たちは、神が創造の初めに人類へ与えられた文化命令が、今日においても有効であることを告白する。
神は人間に対し、「地を従えよ」「生き物を治めよ」と命じられた。
この命令は、搾取や破壊を意味するものではなく、神の代理者として被造世界を忠実に管理し、その秩序を守り、豊かに発展させる使命である。
科学、工学、医学、教育、芸術、農業、産業、および社会制度の発展は、この文化命令を果たすための重要な働きである。
私たちは、これらすべての営みが、神の栄光と隣人への愛という目的の下に行われるべきであると信じる。
文化そのものが救いをもたらすことはない。
しかし、贖われた者は、神の国の価値観に基づいて文化に仕え、被造世界を忠実に管理する責任を負っている。