科学原則
科学原則(Scientific Principles)
序文(Preamble)
聖書科学研究センター(Biblical Science Research Center)は、聖書の最高権威のもとに、神が創造された世界を厳密かつ誠実に探究することを基本的使命とする。
私たちは、観察、実験、測定、数学的解析、工学的分析、歴史的再構成、および論理的推論が、科学研究において極めて重要な価値を有することを認める。
同時に、私たちは、いかなる科学的研究も哲学的前提を持たない中立的営みではないことを認める。
あらゆる科学的解釈は、現実とは何か、知識はいかに成立するのか、因果関係、歴史、秩序、そして真理とは何かという根本的前提の上に成り立っている。
それゆえ、聖書科学研究センターは、聖書によって啓示された世界観を自覚的に受け入れ、その枠組みの中で科学研究を実践することを目指す。
私たちの目的は科学を否定することではない。
むしろ、科学を本来立つべき確かな基礎へと回復することである。
私たちは、科学が可能であるのは、この宇宙が聖書に啓示された神によって設計され、創造され、秩序づけられ、そして絶えず摂理によって保たれているからであると信じる。
また、人間が被造世界を探究することができるのは、人間が神のかたちに創造され、神の知恵と摂理によって秩序づけられた理解可能な世界に置かれているからである。
以下に掲げる諸原則は、聖書科学研究センターにおける研究、教育、出版活動、および科学的評価の基本指針を構成する。
第一部
科学の本質
第一原則
科学とは神の創造世界を探究する人間の営みである
私たちは、科学とは、人間が神の創造された世界を観察し、記述し、測定し、分類し、モデル化し、理解しようとする秩序ある探究活動であると認める。
科学そのものが真理を創り出すのではない。
科学は、研究者とは独立して既に存在している現実について、その真理を発見しようと努めるものである。
自然界は科学理論によって生み出されるものではない。
科学理論とは、人間が自然界の諸現象を説明し理解するために構築したモデルにすぎない。
したがって、現実そのものと、それを説明するための理論モデルとは厳密に区別されなければならない。
科学的知識は真に価値ある知識である。
しかしそれは、あくまでも被造物である人間による有限な知識であり、常に修正され得るものである。
第二原則
科学は創造世界が理解可能であるゆえに成立する
私たちは、科学的研究は、宇宙が真に秩序ある世界であるという前提の上に成立していることを認める。
科学者は次のことを当然の前提として研究を行う。
• 自然現象には原因が存在すること。
• 自然界には規則性があること。
• 数学的法則は現実世界の秩序を表現し得ること。
• 繰り返しの観察は信頼できる知識をもたらすこと。
• 人間の理性は自然界の秩序を認識できること。
• 同一の被造世界は、異なる研究者によっても共通して探究され得ること。
これらの前提は、科学そのものによって証明されるものではない。
むしろ、科学が成立する以前に受け入れられていなければならない基本前提である。
聖書的世界観は、これらすべてに首尾一貫した基礎を提供する。
創造世界が理解可能であるのは、それが理性的創造主の知恵によって造られたからである。
また、人間がその秩序を理解できるのは、人間が神のかたちに創造されたからである。
ゆえに科学が成立するのは、神が秩序をもって創造された世界と、神が人間に与えられた理性的能力との間に対応関係が存在するからである。
第三原則
科学研究に世界観的中立性は存在しない
私たちは、いかなる科学者も、何らの前提も持たずに証拠へ近づくことはできないと認める。
すべての研究者は、少なくとも次のような根本的前提を持っている。
• 何が実在するのか。
• どのような原因を認めるのか。
• 目的は実在するのか。
• 神の働きを認めるのか。
• 過去はいかに再構成されるべきか。
• 十分な説明とは何か。
• 科学研究において、いかなる権威を認めるのか。
これらの前提は、
• 研究課題
• 説明方法
• 理論モデル
• 結論
のすべてに影響を及ぼす。
したがって、科学者同士の対立は、必ずしも観測データそのものの違いによるとは限らない。
同じ化石、同じ測定値、同じ生物構造、同じ化学反応、同じ天体観測を見ながらも、異なる世界観に立つ研究者は異なる解釈へ到達し得る。
ゆえに、証拠そのものと、その解釈とは常に区別して考察されなければならない。
第四原則
自律的・宗教的中立科学は存在しない
私たちは、科学は神学・哲学・倫理から独立して存在するという考えを認めない。
科学理論の背後には、必ず究極的信念が存在する。
自然主義は、証拠を評価する以前に、
• 神による創造
• 啓示
• 目的
• 超自然的働き
を排除する。
一方、聖書科学は、
三位一体なる神こそ万物の創造主、主権者、そしてすべての現実を解釈されるお方である
という確信から出発する。
問題は、
科学に前提があるか否かではない。
問題は、
その前提が真理であり、首尾一貫し、科学そのものを成立させ得るかどうか
である。
したがって私たちは、
自然主義は宗教的中立ではなく、一つの哲学的信念体系である
と認め、その前提自体が検証されるべき対象であると考える。
第二部
聖書的科学哲学の基礎
第五原則
聖書は科学的解釈の究極的枠組みを与える
私たちは、聖書は現代科学の教科書として与えられたものではなく、また自然界のあらゆる現象を技術的あるいは科学的用語によって詳細に説明することを目的とした書物でもないことを認める。
しかしながら、聖書は、あらゆる科学的探究の土台となる根本的真理を啓示している。
聖書は私たちに次の諸事実を明らかにする。
• 宇宙万物の創造主は誰であるか。
• 物質・生命・人類はいかに始まったか。
• 創造主と被造物との本質的区別。
• 被造世界に与えられた秩序と目的。
• 人類の歴史的堕落。
• 罪による腐敗と死の到来。
• 全地を覆った歴史的洪水。
• 人類の一致と諸民族への分散。
• 神の絶えざる摂理。
• 被造世界の終局的完成。
これらの真理は、科学的証拠を解釈する際の歴史的・形而上学的・神学的枠組みを提供する。
したがって、聖書は科学的探究を不要にするものではない。
むしろ、科学的探究を意味あるものとする世界観そのものを与えるのである。
第六原則
創造主のみが完全な知識を有しておられる
私たちは、神のみが被造世界について完全かつ余すところのない知識を有しておられることを認める。
神は万物を設計し、創造し、そして今なお摂理によって支えておられるゆえに、その知識は完全であり、独立しており、誤ることがない。
これに対し、人間の知識は常に部分的であり、被造物としての限界を持つ。
この相違は科学研究において極めて重要である。
神の知識は、
• 根源的であり、
• 完全であり、
• 自存的である。
一方、人間の知識は、
• 神から与えられたものであり、
• 有限であり、
• 神への依存の中でのみ成立する。
したがって、科学研究は常に知的謙遜を伴わなければならない。
人間は真理を発見することができる。
しかし、いかなる研究者も現実全体を完全に把握することはできない。
あらゆる科学理論は、創造世界のある側面のみを抽象化し、単純化し、モデル化したものである。
ゆえに、創造主の完全な知識に基づく神の啓示は、あらゆる人間的再構成に対して最終的権威を有する。
第七原則
設計は創造に先立つ
私たちは、神の設計(Design)は、論理的に創造(Creation)に先立つことを認める。
神は、無知のうちに、試行錯誤によって、偶然の発見によって、あるいは実験を繰り返しながら世界を創造されたのではない。
神は永遠の知恵と目的に従って万物を創造された。
この原理は、次の一文によって要約される。
設計は創造に先立つ。
工学において、一つの構造物が建造される以前には、
• 目的
• 全体設計
• 材料
• 相互関係
• 制約条件
• 機能
があらかじめ設計されている。
同様に、しかもそれをはるかに完全なかたちで、被造世界は神の永遠の知恵を反映している。
したがって、科学研究は次の観点を積極的に考慮すべきである。
• 目的
• 機能
• 設計意図
• 統合された構造
• 情報
• 階層性
• 最適化
• システム統合
これらは科学に異質な概念ではない。
むしろ工学において不可欠であり、生物学・物理学を理解するうえでも極めて重要な視点である。
第八原則
創造世界は機能的・統合的システムとして構成されている
私たちは、自然界の構造は、孤立した部品としてではなく、相互に連携した機能的システムとして設計されていることを認める。
生物、大気、生態系、細胞、分子機構、さらには天体構造に至るまで、その多くは複数の構成要素が相互に連携することによって本来の機能を果たしている。
例えば、鳥の翼は、骨格、飛翔筋、羽毛、呼吸器系、気嚢、神経系、循環系、代謝、さらには周囲の大気環境から切り離されて機能することはできない。
また、一個の細胞も、一種類の分子のみで働くのではなく、膜構造、タンパク質、遺伝情報、エネルギー変換、物質輸送、制御機構、修復機構などが高度に統合されることによって生命活動を維持している。
したがって、聖書科学研究センターはシステムレベルでの解析を重視する。
一つの構造を研究する際には、「それは何でできているか」だけではなく、
• どのような機能を担うのか。
• 他のどの構造に依存しているのか。
• 逆に何がそれに依存しているのか。
• どのような環境条件を必要とするのか。
• 全体としていかなる目的に仕えているのか。
• 情報はいかに伝達され、制御されているのか。
• 一つの構成要素が失われた場合、全体にどのような影響が及ぶのか。
• システム全体は統合された設計目的を示しているのか。
これらを包括的に検討しなければならない。
私たちは、機能的一貫性(Functional Coherence)と構成要素相互の依存関係(Interdependence)は、科学的に極めて重要な証拠であると考える。
第三部
設計・工学・目的論
第九原則
工学的解析は創造世界の理解に不可欠である
私たちは、工学的解析(Engineering Analysis)は、被造世界を理解するために不可欠な研究方法であることを認める。
工学は、単に構造を記述するだけではなく、その構造がどのように機能するかを探究する学問である。
したがって、工学は次のような課題を重視する。
• 機能(Function)
• 性能(Performance)
• 効率(Efficiency)
• 構造強度(Structural Strength)
• 安定性(Stability)
• 制御性(Control)
• エネルギー要求(Energy Requirements)
• 環境条件による制約(Environmental Limits)
• 故障・破壊様式(Failure Modes)
• 荷重分布(Load Distribution)
• 材料特性(Material Properties)
• システム統合(Systems Integration)
これらは、とりわけ生物学的構造を研究する際に極めて重要な視点である。
生物は、
• 空気力学
• 流体力学
• 構造力学
• 熱力学
• 制御工学
• バイオメカニクス
• 情報理論
• システム工学
• 材料工学
• 最適化理論
など、多様な工学分野の知見を用いて解析することができる。
工学的解析は、生物学に取って代わるものではない。
むしろ、生物学に機能的次元を付け加えるものである。
すなわち、「この構造はどのような形をしているか」だけではなく、「この構造は本来どのような働きを担うよう設計されているのか」「どのような条件のもとで、その本来の機能を最もよく発揮するのか」という問いを探究するのである。
第十原則
目的は正当な科学的研究対象である
私たちは、目的(Purpose)は科学的探究において正当な研究対象であることを認める。
近代自然主義科学は、多くの場合、自然現象を作用因(Efficient Cause)のみで説明しようとしてきた。
しかし、聖書科学は作用因の重要性を認めると同時に、
• 質料因
• 形相因
• 目的因
を含めた包括的理解を重視する。
したがって、一つの構造を十分に理解するためには、
• 何から構成されているか。
• どのように形成されたか。
• どのような構造を持つか。
• どのような機能を果たすか。
• いかなる目的のために存在するか。
という諸側面を総合的に検討しなければならない。
目的とは、人間が恣意的に与える意味ではない。
設計されたシステムにおいて、目的はその構造に本来的に備わる客観的属性である。
心臓、肺、眼、翼、種子、調節機構などは、それぞれ全体の中で一定の目的を担うことによって初めて十分に理解される。
したがって、聖書科学は目的論的研究(Teleological Investigation)を、科学的に十分正当な研究方法として認める。
第十一原則
自然法則は神の通常の摂理を記述するものである
私たちは、自然法則とは、創造世界において神が通常用いられる摂理の規則性を人間が記述したものであると認める。
「自然法則」と呼ばれるものは、
自然界そのものを支配する独立した力ではない。
それは、神が通常どのように被造世界を保持し、支配しておられるかを人間が観察し、記述したものである。
重力、化学結合、保存則、空気力学、生物の繁殖、その他の自然現象が安定して存在するのは、創造主が真実なお方であり、その摂理が変わることなく働いているからである。
したがって、自然法則は神の代替物ではない。
また、神の摂理を自然法則と競合する別の物理的原因として理解してはならない。
むしろ、神の摂理こそが、自然法則の示す秩序と規則性の究極的基礎である。
第十二原則
自然過程は実在するが、自律的ではない
私たちは、自然原因(Natural Causes)は現実に存在するが、それ自体が自律的に働くものではないことを認める。
雨は大気物理学によって研究することができる。
病気は生物学や医学によって研究することができる。
飛翔は空気力学によって解析することができる。
地質構造も物理学的過程によって説明することができる。
これらの自然原因は、いずれも現実に存在する。
しかし、それらは神から独立して存在しているのではない。
自然法則、物質、エネルギー、生命、そして自然界そのものは、創造主がそれらを存在させ、その性質を保持し、絶えず支えておられるからこそ存在しているのである。
したがって、ある現象がどのように起こるかを説明することは、その現象がなぜ存在するのかを説明したことにはならない。
物質はなぜ存在するのか。
自然法則はなぜ存在するのか。
秩序ある宇宙はなぜ存在するのか。
これらに対する究極的説明を欠くならば、科学的説明はなお不完全である。
私たちは、創造世界を自己存在的、自己維持的な体系として理解することを退ける。
すべての被造物は、創造主なる神の継続的な摂理によって支えられているのである。
第四部
歴史科学と被造世界の歴史
第十三原則
現在は過去を解釈する唯一の鍵ではない
私たちは、現在観察される自然現象のみをもって過去の歴史全体を説明することはできないと認める。
現代の科学研究では、今日観察される自然過程が、過去においても同一の速度、同一の規模、同一の環境条件のもとで継続していたと仮定することが少なくない。
このような仮定は、限定された研究領域においては有用である場合がある。
しかし、それを歴史全体に無条件に適用することはできない。
被造世界の歴史においては、現在とは著しく異なる環境条件が存在していた可能性を十分に考慮すべきである。
その例として、次のような要素が挙げられる。
• 大気圧
• 大気組成
• 気温分布
• 地質活動
• 水循環
• 生態環境
• 放射線環境
• 生物学的限界
• 大規模な破局的出来事
現在は過去を理解するための重要な手がかりではある。
しかし、現在の状態をそのまま過去へ投影することは、慎重な検討を経なければならない。
第十四原則
操作科学と歴史科学は区別されなければならない
私たちは、操作科学(Operational Science)と歴史科学(Historical Science)とは、その研究対象と認識論的性格において区別されるべきであると認める。
操作科学とは、現在において
• 観察でき、
• 測定でき、
• 実験でき、
• 再現できる
現象を対象とする科学である。
その代表例として、
• 化学反応
• 空力試験
• 医学実験
• 材料強度試験
• 電気現象
• 遺伝現象
• 各種実験室測定
などが挙げられる。
一方、歴史科学は、現在直接観察することのできない過去の出来事や環境を再構成する学問である。
その対象には、
• 宇宙の起源
• 生命の起源
• 地層形成
• 化石の歴史
• 古気候
• 生物集団の歴史
などが含まれる。
歴史科学も実際の証拠を扱う。
しかし、その結論は、
• 初期条件
• 過去の環境
• 変化速度
• 因果関係
• 年代体系
などに関する前提に、より大きく依存している。
私たちは、この区別が歴史研究の価値を否定するものではないことを認める。
むしろ、それは歴史科学の結論は、適切な認識論的謙遜をもって提示されるべきであることを意味する。
第十五原則
証拠はそれ自体で歴史を語るものではない
私たちは、証拠そのものは、自ら歴史的意味を語るものではないことを認める。
化石は現実の証拠である。
地層も現実の証拠である。
DNA配列も現実の証拠である。
生物構造も現実の証拠である。
各種測定値も現実の証拠である。
しかし、それらはいずれも、
自らの歴史的意味を説明するものではない。
証拠は必ず何らかの理論モデルの中で解釈される。
理論モデルは、観察可能な証拠と、想定される原因、出来事、環境、年代体系とを結び付ける役割を担う。
同一の証拠であっても、異なる理論モデルによって異なる歴史像が提示されることがある。
したがって、理論モデルは次の観点から評価されなければならない。
• 証拠との整合性
• 説明能力
• 内的整合性
• 基礎前提
• 予測能力
• 学際的統合性
• 啓示された歴史との一致
これらを総合的に検討することによって、その妥当性が判断される。
第十六原則
科学モデルは暫定的である
私たちは、科学モデルは不可欠な研究手段であるが、現実そのものではないことを認める。
科学モデルは、複雑な現象を整理し、観測結果を体系化し、予測を可能にし、複数の説明を比較するための重要な道具である。
しかし、いかなるモデルも現実そのものではない。
すべての科学モデルには、
• 前提
• 近似
• 単純化
• 省略
• 限界
が存在する。
したがって、聖書科学研究センターは、次の各項目を明確に区別する。
• 直接観察
• 測定データ
• 数学的計算
• 推定された機構
• 歴史的再構成
• 理論モデル
• 哲学的解釈
これらは互いに混同されてはならない。
モデルはモデルとして提示されるべきであり、仮説は仮説として提示されるべきである。
推定値を直接観察であるかのように表現してはならない。
また、必要に応じて、確信度、誤差範囲、不確実性についても誠実に明示されるべきである。
第五部
科学的方法と数量的研究
第十七原則
定量的解析は不可欠である
私たちは、定量的解析(Quantitative Analysis)は、科学研究に不可欠な要素であることを認める。
聖書科学は、数量的評価が可能であるにもかかわらず、単なる概括的説明や印象的表現に満足してはならない。
適切な場合には、科学モデルは次の事項を明確に含まなければならない。
• 測定可能な変数
• 明確に定義された単位
• 数学的方程式
• 境界条件
• 基礎前提
• 感度解析
• 不確実性の範囲
• 実測値との比較
例えば飛翔を論じる場合には、
• 体重
• 翼面積
• 揚力係数
• 空気密度
• 飛行速度
• 抗力
• 必要出力
• 安定性
• 構造強度
などを数量的に評価しなければならない。
また、大気環境を論じる場合にも、
• 気圧
• 温度
• 大気組成
• 気体密度
• 酸素分圧
• 熱伝達
• 生物学的耐性
などを具体的に検討する必要がある。
定量的解析は、物理的に実現可能な説明と、単なる修辞的主張とを区別するための重要な手段である。
第十八原則
前提条件は明示されなければならない
私たちは、あらゆる科学的計算は何らかの前提条件に依存していることを認める。
その前提には、
• 初期条件
• 材料特性
• 環境条件
• 幾何学的条件
• 変化率の一定性
• 測定精度
• 生物学的能力
• 開放系または閉鎖系
• 適用される数理モデル
などが含まれる。
これらの前提が明示されない場合、研究結果に対して過度な確信を与えてしまう危険がある。
それゆえ、聖書科学研究センターは、
研究に用いた前提を明確に示し、
それらを変更した場合に結論がどのように変化するかを検討することを重視する。
複数の合理的前提が存在する場合には、一つだけを採用するのではなく、複数のシナリオを比較検討することが望ましい。
第十九原則
均質主義的前提は批判的に検討されなければならない
私たちは、均質主義(Uniformitarianism)の前提は、批判的に吟味されるべきであると認める。
均質主義は、現在観察される自然過程とその速度だけで、地質学的・生物学的歴史全体を説明できると考える立場である。
もちろん、水は現在も同じ物理的性質を持ち、重力も存在し、化学反応にも一定の規則性が認められる。
このような自然法則の継続性は、科学研究において重要である。
しかし、方法論上の連続性と、歴史そのものの均一性とは同一ではない。
聖書は、
• 創造
• 堕落
• 世界的大洪水
• 洪水後の生態系の変化
• 神による救済と裁き
という歴史上ただ一度の出来事を記録している。
したがって、科学モデルは、創造秩序の継続性と、歴史的環境の変化可能性とを、明確に区別して取り扱わなければならない。
第二十原則
破局的作用は真剣に考慮されなければならない
私たちは、現在の地質構造および生物学的分布は、緩慢な作用だけでなく、大規模かつ高エネルギーの破局的出来事によって形成された可能性を十分考慮すべきであると認める。
破局的現象は、
• 急速な堆積
• 大規模侵食
• 生物の大量埋没
• 生態系の崩壊
• 長距離輸送
• 急激な環境変化
• 地形の大規模再編成
などを短期間のうちに引き起こし得る。
私たちは、創世記に記録された全地的洪水が、現在観察される地質学的・古生物学的証拠を理解するうえで、不可欠な歴史的枠組みを提供すると考える。
しかし、洪水モデルは単なる主張であってはならない。
その構築には、
• 力学的機構
• エネルギー収支
• 時系列
• 堆積輸送
• 水文学
• プレート運動
• 化石分布
• 洪水後の回復過程
などについて、厳密かつ定量的な研究が求められる。
第六部
生命・設計・科学的誠実性
第二十一原則
生命は高度に組織化された情報システムである
私たちは、生命は単なる物質の集合ではなく、高度に組織化され、統合された情報システムであることを認める。
生物を構成する物質は、炭素、水、各種元素、タンパク質、脂質、核酸などである。
しかし、生命の本質は物質そのものではなく、それらを秩序立て、制御し、統合する情報にある。
細胞の内部では、遺伝情報、情報伝達、エネルギー変換、物質輸送、修復機構、複製機構、制御機構が、互いに緊密に協調しながら生命活動を維持している。
したがって、生命を理解するためには、化学的構成だけではなく、情報構造とシステム統合を研究しなければならない。
私たちは、生命を情報科学・システム工学・制御工学・生物学を統合した視点から探究することを重視する。
第二十二原則
設計の推論は科学的方法として正当である
私たちは、設計という結論は、適切な証拠に基づく科学的推論として成立し得ることを認める。
工学において、高度に統合され、目的に適合し、相互依存性を有する構造を観察するならば、設計を推論することは合理的である。
同様に、自然界においても、高度な情報、機能的一貫性、最適化、階層構造、制御系、目的適合性などが認められる場合には、設計という説明を排除すべき理由は存在しない。
もちろん、設計という結論は、単なる「分からないから設計である」という無知への訴えではない。
それは、観察される証拠を最も首尾一貫して説明し得る仮説として評価されるべきである。
したがって私たちは、設計推論を科学的方法から原理的に排除することは、科学そのものの探究範囲を不当に制限するものであると考える。
第二十三原則
科学理論は証拠によって絶えず吟味されなければならない
私たちは、いかなる科学理論も、継続的な検証と再評価の対象であることを認める。
研究者は、自らの仮説を擁護する証拠のみを集めるのではなく、反証となり得る証拠にも誠実に向き合わなければならない。
科学的誠実性とは、理論を守ることではなく、真理を求めることである。
そのためには、
• 新たな観測結果
• 新たな測定技術
• 工学的解析
• 数学的検討
• 他分野からの知見
を積極的に取り入れ、必要に応じて理論を修正する姿勢が求められる。
私たちは、聖書に啓示された真理は不変であると信じる。
しかし、人間による科学的説明は常に改善され得るものである。
第二十四原則
科学研究は真理への奉仕である
私たちは、科学研究の究極的目的は、真理を探究し、創造主なる神の栄光を現すことであると認める。
科学は、名声、権力、経済的利益、あるいは特定の思想を正当化するための道具となってはならない。
研究者は、事実を誠実に報告し、限界を正直に認め、他者の成果を尊重し、公正な議論を行わなければならない。
また、証拠を選択的に提示したり、都合の悪い結果を隠したり、誇張された結論を導いたりすることは、科学に対する重大な背信である。
私たちは、科学を神から委ねられた文化的使命の一つとして受け止め、真理への忠実さと謙遜をもって研究に従事することを誓う。
第七部
情報・環境・学際研究・聖書解釈
第二十五原則
情報は生命の根本的特性である
私たちは、生命システムは高度に組織化された情報に依存していることを認める。
遺伝子配列、調節ネットワーク、細胞内シグナル伝達、発生経路、誤り訂正機構、認識機構、および協調的応答などは、いずれも豊かな情報に基づく過程である。
情報は、それを担う物質媒体だけに還元することはできない。
たとえば DNA 分子は化学的性質を有する一方で、その塩基配列は情報を伝達し、保存し、利用するという独自の機能を果たしている。
したがって、生命を研究する際には、次の諸要素を総合的に考察しなければならない。
• コード(Code)
• 配列(Sequence)
• 制御(Regulation)
• 情報伝達(Communication)
• 情報保存(Storage)
• 情報検索(Retrieval)
• 翻訳(Translation)
• 冗長性(Redundancy)
• フィードバック(Feedback)
• 誤り訂正(Error Correction)
これらの特徴は、秩序ある目的的設計とよく調和しており、それに十分な因果的説明を求めるものである。
第二十六原則
環境条件は生物の機能発揮に大きく影響する
私たちは、生物の能力は、それを取り巻く環境条件から切り離して評価することはできないことを認める。
ある構造は、本来備えられた潜在的機能を有していても、現在の環境条件の下ではその能力を十分に発揮できない場合がある。
生物の機能は、例えば次のような環境条件に影響を受ける。
• 大気密度
• 酸素供給量
• 温度
• 重力
• 湿度
• 水の密度
• 気圧
• 食物供給
• 生態系との相互関係
• 生理学的限界
そのため、聖書科学研究センターは、
生物の設計構造(Biological Architecture) と、
現在の環境下における機能発揮(Environmental Performance)
とを明確に区別する。
今日ある生物が特定の機能を果たせないという事実だけでは、その構造が本来その機能を目的として設計されていなかったことを証明するものではない。
むしろ問われるべきは、「いかなる物理的条件の下で、その統合された設計構造は本来の機能を十分に発揮するのか」という点である。
第二十七原則
学際的研究は不可欠である
私たちは、複雑な科学的課題は、一つの学問分野だけでは十分に解明できない場合が多いことを認める。
とりわけ起源に関する研究には、次の諸分野の協力が必要である。
• 聖書釈義
• 組織神学
• ヘブライ語・ギリシア語研究
• 歴史学
• 科学哲学
• 地質学
• 生物学
• 化学
• 物理学
• 空気力学
• 工学
• 数学
• 情報科学
• 環境科学
それぞれの学問は固有の知見を提供する。
しかし、いずれか一つの分野だけが、すべての問題について絶対的解釈権を持つわけではない。
学際的研究は、隠れた前提を明らかにし、異なる視点から理論モデルを検証し、より包括的で首尾一貫した理解へ導く重要な方法である。
第二十八原則
聖書解釈は慎重かつ責任あるものでなければならない
私たちは、科学理論を聖書へ無理に読み込むことも、聖書本文を軽率に科学的主張の根拠として用いることも退ける。
聖書の解釈は、次の諸要素を十分に考慮して行われなければならない。
• 文法
• 構文
• 文学類型
• 歴史的背景
• 正典全体の文脈
• 契約構造
• 聖書神学
• 信仰の類比(Analogia Fidei)
聖書の意味は、本文そのものから導き出されるべきであり、あらかじめ望ましいと考える科学的結論を本文へ読み込むことによって決定されてはならない。
聖書の権威を真に尊重するとは、責任ある釈義に忠実であることを意味する。
第八部
科学的表現・批判・共通見解・証拠評価
第二十九原則
科学用語は厳密に用いられなければならない
私たちは、科学研究において用いられる言葉は、その意味と限界を明確にしたうえで、厳密に使用されなければならないことを認める。
「証明」「事実」「法則」「理論」「モデル」「可能性」「蓋然性」「証拠」「実証」などの用語は、慎重に区別して用いなければならない。
数学的に可能であるということは、それが歴史上実際に起こったことを意味するものではない。
二つの現象の間に相関関係が認められるということは、それだけで一方が他方の原因であることを証明するものではない。
コンピューター・シミュレーションは、現実に起こった出来事の直接観察ではない。
ある機構が物理的に妥当であるということも、それが歴史上実際に働いた機構であることを必ずしも意味しない。
また、多数の科学者によって支持されている見解も、不可謬の知識と同一ではない。
科学用語を正確に使用することは、研究成果の誇張を防ぎ、読者の誤解を避け、観察された事実と研究者による推論との境界を明確にするために不可欠である。
第三十原則
同行者による批判的検討は有益である
私たちは、科学研究は、他の研究者による慎重で責任ある批判的検討を通して改善されることを認める。
研究者は、次の事項について他者から検討を受けることを歓迎すべきである。
• 計算
• 前提条件
• 引用資料および情報源
• 実験方法
• 証拠の解釈
• 推論過程
• 結論
批判を直ちに敵意や攻撃とみなしてはならない。
適切な批判は、研究の弱点を明らかにし、議論をより明確にし、モデルを改善し、誤りを未然に防ぐことができる。
同時に、批判する側にも公正さと責任が求められる。
批判は証拠に基づいて行われなければならず、研究者個人への攻撃ではなく、その主張、方法、前提および結論に向けられるべきである。
聖書に対する確信と知的謙遜とは、互いに対立するものではない。
聖書的確信が真実なものであるならば、それは誠実な検討を恐れない。
また、知的謙遜が真実なものであるならば、それは真理に対する確信を放棄することを意味しない。
第三十一原則
科学的共通見解は最終的権威ではない
私たちは、科学界における共通見解は尊重されるべきであるが、最終的かつ不可謬の権威ではないことを認める。
科学的共通見解は、多くの研究者によって蓄積された知識、経験および専門的判断を反映している場合がある。
したがって、それを軽々しく退けるべきではない。
しかし、科学的共通見解そのものは誤り得ないものではない。
科学史には、かつて広く受け入れられていた解釈が、新しい証拠、新しい測定方法、あるいはより優れた理論によって後に修正された事例が数多く存在する。
科学的共通見解は、次のような要因によって影響を受ける可能性がある。
• その時点で入手可能な証拠
• 研究方法上の限界
• 学術機関が共有する前提
• 支配的な哲学思想
• 研究資金の優先順位
• 職業上の評価および利益
• 社会的・文化的期待
したがって、科学的主張は、単にそれを支持する研究者の人数によって判断されてはならない。
その妥当性は、
• 証拠との整合性
• 論理的一貫性
• 基礎前提
• 説明能力
• 予測能力
• 他分野との整合性
に基づいて評価されなければならない。
第三十二原則
反面証拠は慎重に取り扱われなければならない
私たちは、現在知られている証拠が存在しないという事実だけでは、ある存在または出来事が過去に決して存在しなかったことを必ずしも証明できないことを認める。
地質学的記録は完全ではない。
生物の保存と化石化は選択的である。
歴史的記録は失われることがある。
過去の環境に残された痕跡は、後の作用によって変形、移動、侵食または破壊される場合がある。
また、現在の調査方法や測定技術にも限界がある。
したがって、「証拠が発見されていない」ということと、「証拠が存在しない」ということとを同一視してはならない。
もちろん、証拠の欠如が科学的に重要な意味を持つ場合もある。
しかし、その意味の強さは、
もしその出来事が実際に起こっていたならば、問題となる証拠が合理的に残存し、現在の方法によって発見されるはずであるか
という点に依存する。
予想される証拠が、本来ならば大量に残され、容易に発見されるはずであるにもかかわらず、十分な調査を行っても全く発見されない場合、その欠如は仮説に対する有力な反証となり得る。
一方、保存される可能性が低く、調査範囲も限定され、識別方法にも不確実性がある場合には、証拠の欠如から強い結論を導くことはできない。
したがって、沈黙からの議論、すなわち証拠の欠如に基づく推論は、常に慎重に行われなければならない。
第九部
学術的誠実性・倫理・技術的責任
第三十三原則
非常に重大な主張には、責任ある論証が求められる
私たちは、聖書的創造論を支持するように見えるという理由だけで、センセーショナルな主張を受け入れてはならないことを認める。
通常とは異なる化石、人工物、地質構造、古代技術、生物学的能力、または歴史的出来事に関する主張は、厳密に検討されなければならない。
研究においては、次の区別を明確に保つ必要がある。
• 検証された証拠
• 妥当性を有する解釈
• 推測
• 誤り
• 意図的な捏造
ある主張が護教論にとって有用に見えるからといって、それだけで信頼できるものになるわけではない。
むしろ、真理の神を告白する者は、他の誰よりも証拠、推論、出典および結論について慎重でなければならない。
不正確な引用、誇張された説明、確認されていない逸話、出典不明の写真、再現不能な計算、あるいは証拠の選択的使用は、聖書的立場を強めるどころか、かえってその信頼性を損なう。
真理の神は、不注意な議論によって栄光を受けられることはない。
第三十四原則
キリスト者としての献身は、高い学術的基準を要求する
私たちは、聖書への服従が、粗雑な研究や低い学術水準の言い訳となってはならないことを認める。
キリスト者である研究者は、次の学術的姿勢を明確に示さなければならない。
• 正確な引用
• 資料および出典の責任ある使用
• 再現可能な計算
• データの誠実な提示
• 観察と解釈との明確な区別
• 反対意見の公正な取り扱い
• 判明した誤りの訂正
• 不確実性に関する透明性
キリストの御名の下で行われる研究は、誠実さ、勤勉さ、慎重さ、および真理への敬意を反映すべきである。
研究者は、自らの立場を守るために証拠を操作してはならない。
また、自らに不利な資料を無視したり、反対者の見解を不正確に紹介したり、確率的結論を断定的事実として提示したりしてはならない。
学術的厳密さと聖書的信仰とは対立しない。
むしろ、聖書が真理であるとの確信は、研究者をより高い誠実さとより厳密な検証へと導くべきである。
第三十五原則
科学には道徳的境界が存在する
私たちは、科学的に実行可能であるという事実だけでは、その行為が道徳的に正当であることを意味しないことを認める。
あるものを研究し、設計し、改変し、製造できるということは、それを実際に行うべきであることを意味しない。
科学研究およびその応用は、少なくとも次の事柄を尊重しなければならない。
• 人間に与えられた神のかたち
• 生命の尊厳
• 身体の尊厳
• 創造に定められた道徳秩序
• 地域社会および共同体の福祉
• 動物に対する責任ある取り扱い
• 環境に対する管理責任
人間は神のかたちに造られているため、単なる実験材料、経済的資源、統計上の数値、または技術開発の手段として扱われてはならない。
同様に、被造世界は人間の無制限な支配や搾取の対象ではなく、神から委ねられたものとして管理されなければならない。
科学は、傲慢、搾取、支配欲、破壊または利益追求に仕えるのではなく、真理、生命、正義、隣人愛に仕えるべきである。
第三十六原則
技術は人間および神の前における責任の下に置かれなければならない
私たちは、技術は人間の能力と影響力を拡大するものであり、それゆえ常に道徳的評価と責任の下に置かれなければならないことを認める。
技術は、苦痛を軽減し、意思疎通を改善し、医療を進歩させ、教育を強化し、被造世界に対する責任ある管理を支援することができる。
しかし同時に、技術は、罪、監視、戦争、操作、依存、格差を拡大する力ともなり得る。
したがって、技術開発は、単なる効率性、利便性、市場価値または収益性だけによって評価されてはならない。
技術を評価する際には、次の問いが必要である。
• それは神をあがめるものか。
• それは人間の尊厳を尊重しているか。
• それは隣人に仕えるものか。
• それは真理を守るものか。
• それは責任ある管理を促進するか。
• それは不当な支配を強めるものではないか。
• それは人間の道徳的責任を弱めるものではないか。
技術は、それ自体で道徳的意味を説明するものではない。
ある技術が高度であり、効果的であり、利益を生み出すとしても、それだけで善であるとは限らない。
技術の目的、使用方法、支配関係、社会的影響、および長期的結果は、神の道徳的秩序の光の下で評価されなければならない。
技術は人間を支配する主人ではなく、神と隣人に仕える道具であるべきである。
第十部
科学の目的と使命
第三十七原則
科学は教会と社会に仕えるべきである
私たちは、聖書科学の目的は、単に議論に勝つことではなく、教会と社会に仕えることであると認める。
聖書科学は、教会を強め、信徒を備え、学生を教育し、親を助け、牧会を支え、キリスト者科学者を励まし、知的な疑問に対して誠実な回答を提供するものでなければならない。
また、社会に対しても、
• 正確な知識
• 責任ある工学
• 倫理的技術
• 環境管理
• 医療および人道的奉仕
• 誠実な公共的対話
を通して積極的に貢献すべきである。
聖書科学は、単なる反論のための学問ではなく、創造主なる神の真理を証しする建設的な学問である。
第三十八原則
科学研究は礼拝へと導かなければならない
私たちは、科学研究の究極的目的は、科学者自身の栄光ではなく、神の栄光であることを告白する。
被造世界を深く探究するほど、そこに現されている秩序、複雑さ、美しさ、力、そして統合的調和は、いっそう明らかになる。
真の科学的発見は、人を高慢へではなく、謙遜へ、感謝へ、驚嘆へ、そして礼拝へと導く。
創造主から切り離された知識は、その本来の意味を失う。
しかし、すべての真理の源である神への賛美へと帰されるとき、知識はその本来の目的を達成する。
私たちの科学的枠組み
聖書科学研究センターの研究は、次の五つの根本原理に基づいて構成される。
設計(Design)
宇宙は、神の永遠の知恵、目的、およびご計画を反映している。
創造(Creation)
神は、その御心に従い、天と地、生命、人類を創造された。
秩序(Order)
神は被造世界の中に、法則、境界、構造、相互関係、および機能的体系を定められた。
摂理(Providence)
神は現在もなお、被造世界を保持し、支配し、導いておられる。
礼拝(Worship)
人間による創造世界の探究は、感謝、従順、忠実な管理、そして礼拝へと導かれるべきである。
これら五つの原理は、次のように要約される。
設計 → 創造 → 秩序 → 摂理 → 礼拝
この枠組みは、本研究センターにおける科学的証拠の解釈を導く基本原則であり、同時に私たちの研究全体を貫く中心命題でもある。
科学が可能であるのは、この宇宙が聖書に啓示された神によって設計され、創造され、秩序づけられ、そして絶えず保持されているからである。
私たちの科学的責務
以上の原則に基づき、聖書科学研究センターは次のことを誓う。
- 聖書の権威の下で研究を行うこと
- 観察と解釈を明確に区別すること
- 哲学的前提を明示すること
- 定量解析および工学的解析を積極的に用いること
- 検証可能で明確な科学モデルを構築すること
- 歴史的主張を認識論的謙遜をもって評価すること
- 生物システムを統合的設計として研究すること
- 環境条件を真剣に考慮すること
- 創造モデルおよび洪水モデルを責任をもって発展させること
- 学術的誠実性を維持すること
- 誤りを率直に訂正すること
- 異なる立場の研究者とも公正に対話すること
- 教会と社会に仕えること
- すべての科学研究を神の栄光のために行うこと
結語
聖書科学研究センターは、被造世界が現実に存在し、秩序を備え、人間が理解し得るものであり、学問的探究に値することを告白する。
私たちは、厳密な科学と聖書への忠実な服従とは相反するものではないと信じる。
自然主義的科学に対する真の代替は、非合理主義ではない。
それは、秩序、法則、理性、数学、情報、目的、そして人間の知識そのものがなぜ存在するのかを説明し得る、
より包括的な科学的世界観である。
科学は神の啓示の上に立つものではない。
科学は神が創造された世界の内側で営まれる。
科学者は、独立した宇宙を解釈する自律的存在ではなく、創造主の御業を探究する被造物である。
それゆえ私たちは、確信と謙遜をもって、厳密さと驚きをもって、勇気と誠実さをもって、科学研究に励む。
私たちは、創造世界を研究する。
それは神の御業だからである。
私たちは、真理を追究する。
それは神が真理であられるからである。
私たちは、理性を用いる。
それは神のかたちに造られているからである。
私たちは、世界に秩序を期待する。
それは神が常に真実であられるからである。
私たちは、設計を認める。
それは神が限りなく知恵に満ちたお方だからである。
そして私たちは、すべての発見を、礼拝として神にささげる。
Science for the Glory of God
神の栄光のための科学
